2014年7月8日火曜日

深い意味はないけど、死について。


いつからか「死んだら」と妄想することが度々あります。今でもたまに。
でもとくに深い意味は無いんです。死んだ後のことを考えるんです。

例えば、葬式とか身近な人とか仕事とかもろもろと。



私は20くらいの頃、大切だった友人を亡くしました。

そのことを、さっきふと思い出したんです。


あの頃他界してからは、しばらく泣いてばかりいました。寝ても覚めても、その友人のことが頭から離れず、道を歩いていても、食事をしていても、ふとしたときに、涙がボロボロと溢れ出るような毎日でした。
ベッドに入っても寝れず、寝不足どころか、丸5日一睡もできないという不眠を初めて経験したのもこの頃でした。

恐らく、あの頃の私はトゲトゲしくて、まるで愛想のない生気のない目だったと思います。

辛かったからね。




人は二度死ぬという言葉があります。


一つは、肉体が死んでしまうこと。
そしてもう一つの死は、誰の記憶からも忘れ去られてしまうこと。

物体的に消えることと、記憶から消えること。


私はもし自分だったら…
「忘れられたくない。」と思ったんです。

私がここにいたこと、会話したこと、私の存在があったことを忘れられたくない。って。

私は苦しくて、友人のことを忘れたい、忘れたいと思うようになっていましたが、気を持ち直しました。

この人をもう一度死なせないよう、その友人のことを思い出す度に、笑うようにしてみました。もちろん最初は無理に引きつった笑いです。でも続けました。

そんなことが続き、半年一年と経ちました。
今でも、目をつぶるとその友人がいます。
こんにちは。という気持ちで、私は友人を見ています。相手も私を見ています。それはとても安らかな気持ちで。

これはなんというか、懐かしむ。に近い気もします。優しさに包まれるような。

身近な人の死から、私自身、今を一生懸命生きようとか、生きることを大切にしようと思えるようになりました。

だいぶ時間がかかることですね。



さっきふと、考えたんです。


もし私が死んだら、

誰かの心の中で生きたい。
少なくとも私はそんなことを信じて生きています。


音楽も。
あ、いや。特に音楽に命かけてるわけじゃないんだけど、
ただ、なんとなく、ここにある一部の私があるから。

うん。
全部の中の一部。

だから他の私も含めて。
信じてるんです。

いつか報われるかな。

優しい気持ちでいたい。


そんな風で、生きたい。